おもいつき

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御朱印帳経過記録 神社25冊目

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御朱印帳神社用25冊目は寒川神社のオリジナル御朱印帳。

御朱印は上段右から
 寒川神社、溝口神社、久地神社、二子神社、久本神社、新城神社、坂戸御嶽神社
中段
 出雲大社朝霞教会と摂社荒船神社、馬場氷川神社と摂社の馬場稲荷神社、竹内神社(我孫子)葺不合神社、素羽鷹神社、磐井神社
下段
 大鷲神社と摂社の魂生神社、戸越八幡神社の青海波と12月限定の師走、四季の御朱印、藤森神社(京都)、桃山天満宮

寒川神社は以前に神奈川方面を巡礼した際に。八方除の神社として古くから知られるとのことで、これにちなんだ柄のようです。京都の大将軍八神社をはじめとしてあちこちの御朱印帳を手がけていると思しいところと同じメーカー製ではないかという気がします。印象からだけで根拠はありませんが。
そもそも八方除て何やねんてなりますけど、方角に関係のある厄除けよろず請け負いますというようなことではないかと勝手に解釈しています。

久地神社、二子神社、久本神社、新城神社、坂戸御嶽神社までは溝口神社で代行しているため自転車で巡礼。

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久地神社は以前に見に行ったことがある久地円筒分水のすぐ側に鎮座しています。そういえば円筒分水の先に鬱蒼とした森と階段を見たような記憶が、というかむしろさらにその脇に地図に描かれた謎の丸い池が気になってそちらまで来てみた記憶があります。今はGoogleマップにも「弁天池」と記されていて謎でもなんでもないんですが、当時は無記名でただ地図に謎の二重丸だけが描き込まれていてむしろそっちが円筒分水っぽかたもので。円筒分水は季節柄水量は多くないためちょっと迫力不足で残念。やっぱり見に来るなら田んぼシーズンですね。

出雲大社朝霞教会は以前に参拝済みですが御朱印が新しくなり、摂社の荒船神社の御朱印が追加されたとのことで改めて参拝。足元に立ち位置と参拝順路がバミってある神社。新しい御朱印は2社ともお願いすると水引が付いてセットで見開きになる形式です。

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馬場氷川神社前の御朱印帳からの続き。お正月に向けて量産中だった色紙の書置版のものをいただきました。前の御朱印帳とバージョン違いで2種と、摂社の馬場稲荷神社のもの。ころっとした狐のはんこが可愛いです。あとここの参道脇には機雷が鎮座してます。神社に機雷置くのが流行ってるの? この機雷については境内に不発弾と説明する張り紙があり、不発だったことから火災除け、災難・災厄除け、安全守護の御利益があるとされていました。機雷の不発弾って? という感じですが、こちらによると昭和40年頃に付近の小学校から神社に移設されたものであると紹介する新聞記事があり、さらにその由来についても昭和10年付けで「廃兵器無償下附」「浮標水雷缶」とする記録があるようです。ということでこれが不発弾だというのはどこかで伝言ゲーム的に付いた話ではないかと。
ていうか普通の人は「機雷」「爆雷」「爆弾」がそれぞれどう違うのかとかいちいち気にしないですよね。「これは戦争中に使われていた機雷です」と言われても「ふーん、爆弾かー。丸のまま残ってるってことは空襲のときに落ちてきて不発だったの?」くらいの認識かも。「地雷」はイメージしやすいでしょうけどね。「機雷」が船が通りそうな場所に浮かべておいてぶつかったら爆発するやつ、「爆雷」が潜水艦が居そうな場所を狙って沈めて水中で爆発させてダメージを与えるるやつ、「爆弾」は飛行機から狙って落とすやつもしくは爆発物全般、という感じでしょうか。まあぺたぺた触れる状態で設置してある機雷というのは面白いと思うので個人的にはこれはこれで。

葺不合神社(ふきあえずじんじゃ)と素羽鷹神社の御朱印我孫子の竹内神社神社で代行されています。
鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)をお祭りする神社ってたぶん他ではあまり聞かないと思うんですが、珍しいですよね。
海彦山彦の兄弟のエピソードは昔話でおなじみですが、この話で結ばれた山彦と豊玉姫のあいだにできた子供が鵜葺草葺不合尊で、さらにその息子が初代天皇である神武天皇となり、主要な系譜であるわりはにこの方個人の印象がほぼありません。
というか竹内・葺不合という名前の並びがなんというかMayuge的には竹内文書を連想させられる組み合わせ。この自称古文書自体はツッコミどころ満載という風情ですが「ヒヒイロカネ」という伝説上の金属を生み出して和製RPG文化に貢献したという功績は評価すべきかと個人的には思っています。あと「↑ 月 3km」とともにネタ画像として定番の「ピラミッド ↑ キリストの墓→」というえもいわれぬ味のある道路標識を今日の日本で目にすることができるのもこの古文書のおかげです。
いちおう確認してみたところ、この地にあった弁天堂を葺不合神社と称するようになったのは明治39年でちょうどこの竹内文書聖典とする天津教の勃興期と重なりますが、この時点ですでに近隣に葺不合神社と呼ばれる神社が存在しており、これがこの地に合祀され、名前の元になったとのこと。そして竹内神社の由緒はさらに文句なく古いとのことなのでまあこの組み合わせになったのは偶然ということに。竹内文書と関連が有るのではないかというのは濡れ衣のようです。あったら面白かったんですが。
味のある古文書との関連はさておき、弁天池に向かってゆるやかに下り坂になる参道やでっかい芭蕉の株、本殿の緻密な彫刻など見所が色々とある神社です。本殿は周囲の壁、柱問わずあらゆる隙間にこれでもか!といわんばかりにびっしりと彫刻されていて見応えがあります。

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素羽鷹神社の読みは「そばだかじんじゃ」。利根川に沿って下流に向かった方に「側高」と書いて同じく「そばだかじんじゃ」と読むところがありますが、何か関連があるんでしょうか。鎮座地は印旛郡栄町と、代行している竹内神社からは十数kmくらい離れています。以前にそっちの方に出かけたときに参拝だけ先に済ませてました。神社というよりぱっと見公民館か何かのような不思議な建物。周辺の木なんかがちょっと鎮守の森らしからぬ伐採のされ方をしてましたが何かあったんでしょうか。

磐井神社以前に参拝して御朱印も戴いてるんですが、いつの間にやら月替わり御朱印を始められたようなので近くまで来た際に参拝。17年12月の御朱印は銀杏。この他にカラフルな色紙の書置御朱印も枚数限定であるようなんですがこの時はすでに定数に達して終了してました。

大鷲神社(おおとりじんじゃ)は千葉の安食鎮座。以前にも参拝した石のように硬い日本一ご立派なモノをお持ちの神社です。そのご立派な魂生さまの御朱印が新たにできたらしいので近くに行った際に改めて参拝。

戸越八幡神社同じく以前に参拝済み。こちらは月替わりの御朱印や日にち限定、絵入りの色紙の御朱印など御朱印方面の活動が活発なのでいつ参拝しても御朱印待ちの先客がいる印象。ソファーが用意してあったりお茶がいただけたり、待ち時間対策が非常に充実していてこなれた対応という感じがします。しかしあのソファーは雨の時とかどうしてるのかちょっと気になるんですが。

藤森神社は帰省の際に京都の伏見の方まで。検索で見た左馬の御朱印というのが正月三が日限定と書かれていたのでそのためにこのタイミングの参拝だったんですが、どうやら「午年の正月三が日限定」だった様子。次の機会はだいぶ先になります。

桃山天満宮御香宮神社の境内に鎮座しますが摂社ではなく別の神社という扱いの様子。御香宮神社の御朱印にはけっこう待たされるほど列ができてるのにこちらに来ている人はまったく見かけませんでした。良い書体なのに。「『東風吹かば~』って書いたら続きは書かんでもお前ら分かるやろ。察しろ」的な感じも個人的にはわりと好きですが。

 

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