おもいつき

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御朱印帳経過記録 神社31冊目

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御朱印帳神社用31冊目は上神明天祖神社の四月限定御朱印帳。
元からある白いオリジナル御朱印帳とは少し柄が違い、龍神様の絵が入っています。同じ柄で黒版、白版がそれぞれ時期を限定して頒布されているようです。

御朱印は上段右から
 上神明天祖神社の四月限定印、水戸東照宮、鴻神社、生出塚神社、人形町八幡神社、小松原神社、朝日神社(六本木)のほおずき市限定印
中段
 亀戸浅間神社の夏詣限定印、幸宮神社、聖神社鳥取)、綱敷天神社、綱敷天神社御旅所、歯神社、宗像神社(京都)と摂社の少将井神社
下段
 同じく宗像神社の摂社金刀比羅宮、白雲神社、梨木神社、出雲路幸神社、河合神社、金吾龍神社の摂社あらはばき神社、金吾龍神


記念日や季節で御朱印にバリエーションを持たせるというイノベーション御朱印界に持ち込んだのは上神明天祖神社か烏森神社のどちらか辺りじゃないかと思うんですが、その上神明天祖神社。以前に参拝済みですがオリジナル御朱印帳のピンク色バージョンというのが4月限定で頒布されていたのでこちらを。せっかくなので4月版の御朱印も。通常版の白いオリジナル御朱印帳も持ってるんですが、上神明天祖神社御朱印専用にしているためこの時点ではまだ使い切っておらず未収録。

水戸東照宮前の御朱印帳吉田神社と同時に参拝。水戸駅のすぐ近くで道が細い上に台地の縁になっており、道が立体的に入り組んでいます。参拝者用の駐車場有りとなっているんですがどこにあるのかさっぱりわからず、車で周辺をさんざんウロウロした挙げ句に諦めてそのへんのコインパーキングに駐めました。参拝者用駐車場はそのコインパーキングの向こうにあるのにあとから気付きましたがどこから入れば良いのやらよく分かりません。

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どうでもいいことですが拝殿正面の参道の階段脇にあるビルにものすごく用途不明のドアがあります。お薦め。
ちなみにマタタビの木を見付けたのはこの日の帰りでした。

その次も前の御朱印帳からの続きで、鴻神社の御朱印のバージョン違いのひとつ、千代紙の書置版と、付近の兼務社である生出塚神社(読みは「おねいづかじんじゃ」)、人形町八幡神社、小松原神社の3社。兼務社をまわってくる間車を置かせていただいていいか確認し、自転車でぐるっとまわってきました。いちばん遠い小松原神社までで2.5kmくらい、おおむね高崎線に沿う感じで上り方向に点在しています。

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朝日神社は六本木交差点から芋洗坂を降りていった先のビルの隙間にはまり込むようにある神社。夜に前を通ると灯明の灯った参道が雰囲気があります。以前にも参拝してるんですが、七夕限定印を目当てに都内に出たらちょうどほおずき市の限定印があったので参拝。売られてるほおずきが予想外に巨大で迫力があります。

亀戸浅間神社以前に参拝済みですが夏詣の書置タイプの御朱印を告知で見まして、富士山のシルエットが入った良いデザインだったので目当てに参拝してみたら所定数を頒布し終わってました。なので通常の夏詣御朱印

幸宮神社は幸手市に鎮座するなんかげんの良さげな名前の神社。以前にこの辺りを通った際に参拝してみたんですが、たまたま社務所に人が不在で御朱印が戴けなかったので再訪。

聖神社鳥取市内の神社。墓参りで鳥取に行った際、その帰りにちょっと足を延ばして参拝。

綱敷天神社は同じく墓参りの帰省の際に大阪に立ち寄って参拝。本体は阪急東通商店街辺りのガチャッとした一帯に唐突に鎮座しています。ガチャッと具合については地名を聞けば大阪近辺のサラリーマン男性の方々にはピンとくるであろう方面。調べるまでこんな場所にこれだけの面積を占める神社が存在するとは思いませんでした。さらに茶屋町の辺りにこの神社の御旅所がありまして、現在は御旅所の域を超えてこちらもほとんど神社として機能してる感じ。それぞれに御朱印があると聞いて以前に年末年始の帰省の際にそれぞれ参拝してみたんですが、初詣対策の準備で忙しいのでこの時期は御朱印の対応を停止中と言われまして、今回改めて参拝。以前は神社と御旅所それぞれで御朱印を対応されていたんですが、今は両方の御朱印とも対応は御旅所が担当されているようです。

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歯神社は御旅所の近く、梅田ESTの辺りの路地にある祠で、綱敷天神社の飛地末社という扱いの様子。こちらも御旅所で御朱印が戴けます。歯専門の神社は珍しい気がしますが、本来は「洪水を歯止めした巨石」を祀る神社とのこと。ビルの隙間に取り残されたように唐突に現れる感じが印象的ですが、以前に御朱印とは関係無しにこの神社の前を通ったような記憶があります。

宗像神社は京都御所内に鎮座する神社。摂社の少将井神社、金刀比羅宮が並んでいてそれぞれの御朱印があります。

さらに御所内を少し北上した辺りに鎮座するのが白雲神社。琵琶の宗家である西園寺家の邸内にあった神社で、音楽の神として妙音弁財天が祀られています。弁財天というと一般にすぐ連想する琵琶を持った女性の姿の二臂弁財天と、一般にはあまり馴染みがないけど寺社巡りなどしてるとちょいちょい目にする八臂弁財天がありますが、こちらの神社に祀られる像は二臂弁財天としては最古のものと思われ、双方の中間のような珍しい特徴を備えているらしいです。

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梨木神社(なしのきじんじゃ)はそこから東に御所を出てすぐの辺りに鎮座しています。妙に南北に細長い境内ですが、この緑の通路みたいな参道はけっこう好きです。

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出雲路幸神社はそのまま北上して御所の敷地が途切れた先、御所の北東の外れに鎮座しています。板塀に囲まれてちょっと神社らしからぬ外見。
読みは「こうじんじゃ」もしくは「さいのかみのやしろ」。読みの通り塞の神とも関わりがあるような解説が出てきますが主祭神猿田彦大神
京都御所北東に猿が辻と呼ばれる一角があり、鬼門のまじないとして敷地を切り欠いてそこに魔除けの猿が祀られているというのは有名な話だと思いますが、その猿が辻から鬼門方向にさらにラインを延長した先にこの神社があり、対になる木彫りの猿がこの神社にもあると聞いて参拝。格子の向こうでちょっとわかりにくいんですが、「ここにおさるがいます」という木札が目印として設置してあります。なんかかわいい。猿が辻の猿は金網でがっちり囲われている上に陰になっていて非常に見えにくいんですが、それに比べるとこちらの猿はかなり見やすいです。とぼけた表情も良い感じ。

河合神社は下鴨神社の南端の辺り、境内にくっつくように鎮座しています。普通に観光に来ても別の神社と気付かないかと。というか今まで気付きませんでした。

金吾龍神社の読みは「きんごりゅうじんじゃ」。代々木にあるごく普通の住宅マンションの一室に鎮座するちょっと風変わりな神社。本来の神社は北海道の小樽にあり、境内からは縄文の祭壇遺跡も見付かっているそうで、太古から神を祀る場であったと考えられているとのこと。それがなんで代々木のマンションの一室にという話ですが、社殿の老朽化に伴い神社を建て直す計画が挙がったそうでして。この際、神事によって遷座先を占おうとしたところ、東京の代々木に遷座せよとの御宣託が下ったと。
縄文時代からずっと小樽の海辺に住んでるお爺ちゃんに「引っ越し先、どの辺にしましょうか?」って尋ねてみたら「ワシぁ、東京の代々木ちゅうとこに住んでみたい」とか言い出した感じですか。御宣託を受けた瞬間「うわぁ、どうすんだよこれ」って頭を抱える関係者の様子が目に浮かびます。銀座でベコ飼うだ。
御朱印は通常の見開き御朱印と荒波々幾大神(あらはばきたいじん)の御朱印があります。この他期間限定のカラフルな御朱印が時期ごとに用意されています。今回はベーシックな方で。
参拝も、あらかじめ電話確認をしてからマンションの一室の呼び鈴を鳴らすと巫女さんに部屋へと迎え入れられ、控え室で順番待ちしつつ神社についてのお話を聞いた後、祭壇のある隣室に一人ずつ案内されてしばらくそこで自分なりのスタイルで参拝するという何かと独特のシステムです。無機質なマンションの一室に唐突に祭壇があって愛想の良い美人の受付というとなにやら新興宗教めいた雰囲気になりますが今のところ入信を薦められたりはしていません。こんな風変わりな形式にもかかわらずMayugeが参拝した時点で3組ほど先客が居ました。なかなか賑わってる様子。Mayugeの前に居たシニアの女性二人組は常連さんのようでした。
あと、縄文遺跡とアラハバキ神という組み合わせはMayugeとしては東日流外三郡史が連想されます。アラハバキ神は日本古来から信仰された神ではあるようですが具体的な信仰内容はすでに失われており、その響きと謎さが相まった独特の魅力を放っています。で、そこにまたひと味加えてくれるのがこの東日流外三郡史でして、「記紀より古い」と称する日本を記した書物、いわゆる古史古伝の一つです。昭和後半頃、東北住まいのオッサンが「うちの屋根裏から古文書が見付かった」と称し、そこに記された驚きの内容の古代史の真実を次々に明らかにしていったとのこと。ちなみにこの書物が見付かったという家、昭和に入ってからの建造物だそうです。その中に有名な遮光器土偶を「アラハバキ神の姿」としている記述があるそうでして。内容の突っ込みどころの多さは各自Wikipediaででもお楽しみいただくとして、要素やストーリーにはなかなか魅力的な部分もあったようで、このアラハバキ神=土偶というイメージは古文書の知名度以上にあちこちに浸透している気がします。なのでこの神社について聞いたときにも「こんなとこにも?」と思った次第。現在の金吾龍神社に相当する祠堂が設けられたのが江戸時代、神社として正式に成立したのが戦後とのことで、東日流外三郡史の流行より早くから神社は存在していた様子。あとはアラハバキ神がいつ頃から祀られていたのかでしょうかね。まあそこはさておいても色々な部分で独特でユニークな神社でした。限定御朱印に好みのものがあるタイミングでまた参拝してみたいところ。

 

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